20260805

 場面は不意に始まる。


 ざらざらとした質感の映像は揺れながら廊下を進み、かちり、とちいさな音をたて、部屋に入った。
 暗い。寝室だろうか。ぬっと現れた腕が深緑のカーテンをわずかに開く。映像が真っ白く瞬き、射し込む光は寝ている青年の顔を照らし出した。
 起床了。末尾を延ばし、歌うような声が言う。少年のような頬をした青年は光から隠れるように、長くしなやかな腕で顔を覆った。
 むにゅ。その頬を親指と人差し指がつまむ。なにかものがぶつかったようなにぶい音がし、いてっとちいさな声が聴こえた。
 ゆるりと半身を起こす動作は美しく、端正な顔を半分ほど覆うふわふわとした巻き毛は西洋の仔犬のようだ。しばらくぼんやりとうつむいたあと、長い指がそれを掻き上げ、ようやく半分開いたかのような目がちらりとこちらをみる。途端に、おおきな手が迫り来るように画面を覆ってしまった。


 鼻歌が聴こえる。カメラはテーブルに置かれており、揺れてはいない。
 青年は白いティーシャツに黒いスポーツウェアを穿いて行儀悪くイスに足をあげ、背もたれを揺らしている。時折こちらにつめたい眼差しを投げるが、カメラを押しのけるわけでも止めるわけでもなく、スマートフォンをいじり続けている。
 カチャカチャというような音、ジューッとフライパンでなにか焼くような音が始終している。
 しばらくして、ほんの一瞬、だぼっとしたグレーの残像が映像をさえぎった。


「はい、あーん」
 ベーコンに突き刺したフォークが画面に向かってくる。間近ではちょっと小馬鹿にしたような鼻息。カムコーダー汚すなよ、貴重なんだから。いまはもう売ってないんだ、そう言う。
「アイドルのイメージビデオってこんなじゃん。撮ったことある。むかし」
 みたことあるよ。そんなにむかしでもないだろ。アイドルなの、おまえ。
 青年はちょっと遠い目をしてから、肩書きなんてどうでもいい、と吐き捨てるように言った。
「でも、アイドルでもなんでもなるよ。おれは哥哥のためだけの演员だから」
 そう、自分で言っておきながら、吹き出してテーブルを叩く。やけにハイトーンのアニメキャラクターのような笑い声が掻き消すように重なった。画面がひどく揺れる。ひとしきり笑って、忘れんなよ、そう言った。


 白いスリーブのついた黒いボックスはやけに高級そうで、出てきたものはカメラだった。
 わ、と感嘆の音が青年の唇から漏れる。くるくると、それでいて大切そうに手のなかで回転させ、あらゆる方向から眺めては、メタルグレーだとか、超かっこいいとか、目と口をまるく開いて興奮したように何度も言う。
 レンズもあるからつけてみ、と促されるまま、カメラのものとあまり変わらないサイズの箱からレンズを取り出す。やはりメタルグレーだった。
 低いテーブルにカメラとレンズをそっと置くと、青年はソファから降りて身をちいさくかがめ、レンズをカメラ本体に慎重に取りつけた。ファインダーを覗き込み、開けたばかりの箱にピントを合わせる。
 それから、大切なことを思い出したとでもいうようにカメラと口角を持ち上げ、こちらに向けてチッ、とシャッターを切った。


 祝你生日快乐,祝你生日快乐,祝你生日快乐,祝你生日快乐。
 ひとりっきりのバースデーソングが終わり、暗闇のなか、蝋燭のわずかばかりの灯りが青年の顔を一瞬照らし、尽きた。


「生日快乐呀,王一博」


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